要旨

新型コロナウイルス感染症の急激な拡大が、新興アジア諸国の経済・社会状況に影響を及ぼしている。コロナウイルスの大流行以前にすでに悪化していた経済成長は相当な圧力にさらされており、一段と減速する可能性がある。地域の経済成長は2020年に急激に落ち込むと予測される。今回のパンデミックは金融市場と銀行部門に影響を与え、さらに貿易フローも減少させる公算が大きい。企業や労働市場ではすでに顕著な影響が表れている。ウイルス蔓延の抑制を図るため、迅速な医療対応とロックダウン措置が講じられている。医療及び労働市場へのタイムリーな政策対応、そして適切な金融・財政政策を組み合わせることが、極めて重要になるだろう。ロックダウンと外出制限措置がもたらす経済的影響については、さらなる評価が必要となる。デジタル化の活用を最大限高めること、地域協力を一段と強化することなど、中期的な課題に対応することも重要である。

 新興アジア諸国のマクロ経済情勢

中国で最初に確認されたコロナウイルスは他国に急速に拡散し、これまでに(4月21日時点)世界で250万人近くが感染、17万人以上が死亡している。東南アジア諸国では3月中旬から感染者数が増加し始めた(図1)。インドでは4月21日時点で約1万9,000人の感染者が確認されている。ただ、感染者の急増は、検査数が増加したことも一因である可能性がある。この他同日時点において確認された感染者数はシンガポールで9,000人の水準を超えており、インドネシアでは7,000人余りにのぼっている。

 
図 1. 新興アジア諸国で確認されたコロナウイルス感染者数累計

 コロナウイルスにより経済成長見通しは不透明に

2019年末からのコロナウイルスの急速な拡大により、新興アジア諸国は経済・社会情勢に大きな圧力がかかっている。この地域はコロナウイルス大流行に先立つ米中貿易摩擦の影響ですでに経済成長率が低下していたため、目下のところ強い逆風にさらされている。2020年には地域の経済活動が急激に落ち込むと予想される。複数の国で経済が縮小する可能性が高い。例えば、2020年第1四半期におけるシンガポールの国内総生産(GDP)は、当初予測によると、生産高が前年同期比で2.2%減と推定されている。

パンデミックがなお拡大している中で、2021年のGDP成長率については不透明感が拭い去れない。景気は回復が見込まれるものの、成長軌道がどのような形状を描くかは、世界及び国レベルの数多くの特性に左右されるとみられる。感染曲線の最終局面の長さや、銀行及び金融市場全体の安定性に対するその後の影響、再雇用のスピードと個人消費の回復ペースなどがこれに含まれる。リスク封じ込め策はすでに個人消費を圧迫しており、2月に始まった小売売上高の伸びの顕著な落ち込みにもこれが表れている(図2)。その結果、企業と消費者の景況感が悪化し、投資見通しが冷え込んでいる。

 
図 2. 新興アジア諸国の小売売上高
3カ月移動平均、前年比伸び率(%)

注:中国のデータは公表された年初来(YTD)の伸び率。中国は毎年1月のデータを公表しておらず、一連のデータは2月から始まる。RHSは右側目盛りを意味する。

出典:CEIC

 政府は圧力緩和のための財政・金融措置を動員

コロナウイルス対応に必要な支出と災害支援資金、補正予算を再編成する形で、緊急の財政措置が講じられている。この支出は主に医療システムの要求への対応と、脆弱な部門の基本的必需品の支援を目的としている。このような地域の取り組みに対しては、国際機関や外国政府、民間部門、及びその他の慈善機関から貴重な支援が提供されている。

新興アジア諸国には全般に、ロックダウン下で生じる各国の経済的ニーズに対処する財政的な余裕がある。各政府は自国債務を積極的に管理しており、過去数年にわたってGDP比でみた債務水準を制御できている(図3)。しかしながら、ロックダウンと外出制限措置がどの程度続くかは明らかではない。これは、弱体化する経済を支えるための財源を増やさなければならない可能性があるということである。政府支出の対象を適切に絞ることが非常に重要になる。

 
図 3. 新興アジア諸国における政府の一般債務総額(2015年、2019年)
対GDP比

注:国レベルのデータはIMF Fiscal Monitor Databaseのデータによる。OECD平均は、 IMF Fiscal Monitor Databaseの国レベルの債務総額比率と、IMF World Economic Outlook DatabaseのGDPデータを使用して算出。

出典:OECD Development Centre, IMF Fiscal Monitor Database and World Economic Outlook Database。

先進諸国の先例に続き、新興アジア諸国も同様に金融支援を拡大する姿勢を強めてきた。新興アジア諸国では銀行の準備率の調整を行っている。必要な流動性を供給するため政策金利の引き下げが複数回にわたって実施されており、年初来の利下げ幅は10~75ベーシスポイント(bps)に及んでいる。また、銀行の現地通貨準備率は25~200bps引き下げられている。金融当局は国債の買い入れなど、公開市場操作という手段も活用して、金融システムへの流動性供給を行っている。この地域の総合インフレ率は緩やかな水準にあり、中央銀行には政策上の若干の柔軟性が残されている。なお、世界の原油価格は2019年12月以降に急落した。

 危機により資本と貿易のフローは大打撃を被る

 パンデミックによって金融市場が動揺し、銀行部門の強靭性(resilience)が試される

この度の健康危機を受けて収益見通しが悪化したため、株価は大きく下落した(図4)。一方で、債券市場は落ち着きを保っており、ほぼ中央銀行の指針に沿った動きをみせている。この地域の通貨は大部分が2019年末から値を下げており、特にインドネシア・ルピアとタイ・バーツはその貿易相手国通貨に対して大きく下落している。また、借り手の返済能力の負担が増していることを踏まえ、銀行に対する厳密な監視が行われている。

 
図 4. 新興アジア諸国の株価指数と名目実効為替レート(2019年~2020年)
前年比変動率(%)

注:株価指数は2020年4月20日時点、NEERは2020年4月14日時点のデータ。YTDは年初来を指す。2019年については2018年末から2019年末までを算出。

出典:CEIC、Fusion Media Ltd.、investing.com、及びBank for International Settlements。

この地域の銀行部門は全般に資本が充実している。とはいえ、銀行部門への圧力が増すリスクは高まっている。この地域では企業の90%以上が中小企業(SME)で構成されているが、中小企業は特に景気後退の影響を受けやすい。中小企業が支払い不能に陥れば、全般に影響が生じ得る。観光業に属する企業など、景気後退の影響を直接受ける企業についても同じことが言える。特に、航空会社や空港及び港湾の運営会社、クルーズ客船やホテル、その他の宿泊施設の提供会社、民間交通機関や旅行代理店などが、これに含まれる。

 標は資本と貿易のフローの減少を示す

年初3カ月の金融勘定フローのデータは、まだ公表されていない。しかしながら、株価と為替レートの動向に何らかの兆候が現れれば、ポートフォリオとその他の投資フローに対する下押し圧力は強力なものとなる。同様に、業況の悪化と大規模プロジェクトの工事の一時中止が、海外直接投資の流入を減少させた可能性もある。

先進諸国における大規模な流動性供給は、今後数カ月の金融資本フローのトレンドを逆転させる可能性がある。さらにこれは別の政策課題をもたらす。1つは、世界の金融システムが低金利、潤沢な流動性、急速な累積債務の状態に回帰することである。その結果として、新興市場における国境を越えた資本フローが長期に渡り大きく阻害される可能性がある。過去に起きたダイナミクスの変化から教訓を学べるかもしれない。つい数年前にも、米国と欧州の量的緩和策が原因でダイナミクスに変化が生じた。このときには、地域の金融当局がマクロ・プルーデンシャル(マクロ健全性)監視の枠組みとツールキットの強化を継続して行うことになった。

ロックダウンと外出制限措置の影響は移民労働者にも及んでおり、送金の減少を招く可能性がある。とりわけその影響を受けるのが、多数の海外労働者を抱える国である。フィリピン、インドをはじめ、ベトナムにもいくらかの影響が及び得る。

2019年の貿易摩擦ですでに減少していた財の貿易による収益は、低水準ながら依然低迷している(図5)。2020年3月以降の輸出と観光業のデータ(大部分の国ではまだ入手できない)には、コロナウイルスの影響が一層顕著に表れると推測される。3月に各国が国境管理を大幅に厳格化し、世界のバリューチェーンがより厳しく阻害され始めた。

生産の観点からみると、財の輸出、特に製品輸出には、一般に相当量のサービスが投入される。ロジスティクス、金融、事業円滑化及び通信のサービスなどがこれに含まれる。こうしたつながりがあることで、サービス部門は産業部門と同様に外部市場の動向に影響を受けやすくなる。一方、2019年の貿易摩擦の勃発時には、多くの国で製造業の伸びが落ち込んだ中、サービス部門の伸びは概ね横ばいで推移した。

 
図 5. 新興アジア諸国の輸出の伸び
3カ月移動平均、前月比伸び率(%)

出典:CEIC

 企業と家計への影響は深刻である

 コロナウイルスは労働市場と世界のサプライチェーンを混乱に陥れており…

コロナウイルスによる死亡率上昇と病気休暇の増加が原因で、企業は確保できる労働力の減少に直面している。ロックダウンと外出制限措置は、製造、サービスの両部門に一層大きな影響を与えている可能性がある。マレーシアとタイの実証からは、幅広い部門で設備稼働率が低下していることが示唆されている。それに加え、国際的なサプライチェーン、特に中国のサプライヤーに依存している企業は、国外からの原材料と中間製品の配送の混乱に直面している可能性もある。外国人観光客の減少は航空、観光、接客サービス部門に深刻な影響を与える。向こう数カ月に倒産が急増する恐れがある。特に中小企業の場合、コロナウイルスによる休業の影響は計り知れない。清華大学の研究者による2020年2月の調査では、中国の中小企業995社のうち、収益が50%以上減少した企業が30%にのぼっている。さらに、運転資金のキャッシュフローが1カ月分しかないと回答した企業が3分の1を超えている。

 …今後、労働者の雇用と所得にもたらされる結果は深刻

企業はコストを削減して景気後退に対処しようとするため、失業する労働者は増える恐れがある。最初の段階では、ロックダウンと外出制限措置に直接影響を受ける部門で労働力の下方調整が起こるだろう。レストランやホテル、必要不可欠ではないその他のサービス提供業者では、製造企業に比べ、短期間で従業員の解雇が行われる可能性が高い。マレーシアのデータによると、2020年初頭から提出された失業給付金申請は1万4,500件を超えている。これに対し、2019年第1四半期の申請件数は、およそ1万1,000件であった。ベトナムの労働市場も大きな圧力を受ける可能性がある。同国の税務部門は、ハノイだけで2カ月足らずの間に3,000件余りの廃業に対応しなければならなかった。

今年上期の労働市場のデータは低調なものになると予測される。厳格な行動規制が敷かれる中で社会秩序を保つという観点から、これは政策の重要課題である。新興アジア諸国の失業支援の仕組みは、先進経済諸国に比べると、非常に消極的である。政府は対応として、隔離地域の困窮世帯に特別手当を給付するため、予算を充当した。一部の大手民間企業は、休業中も賃金の支払いを継続することに合意している。しかしながら、こうした仕組みは一時しのぎに過ぎない。

 様々な分野で政策措置が早急にに必要

 医療対策を講じて差し迫ったニーズに対応し、医療システムを強化することが必要

ウイルス蔓延を抑制するためには、大流行発生後の素早い医療対応が必要である。迅速な一般市民向けの啓蒙、適切な衛生技術の推進、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の確保)と罹患時の隔離の重要性、ウイルス感染者と過去に感染した人との識別、労働者とその家族を健康リスクから保護するためのその他の対策などが、これに含まれる。活動性ウイルス感染と抗体の両検査を実施することも重要な手段となる。もう一つの重要な対策は、医療インフラの負担を軽減し、より多くの医療物資を入手できるようにすることである。複数の国でコロナウイルス患者専用の病院が指定されたが、満床になる事例が多発している。

医療機器や個人用防護具(PPE)の不足は、引き続き懸念事項である。今回の大流行、そして今後起こり得る大流行に対処するため、各国はこの病気の検出戦略と一次医療システムを増強する必要があるだろう。現在のパンデミック収束後も、医療施設と教育への投資は引き続き重要であり続ける。入手可能な最新データによると、1人当たりの医師の数は、新興アジア諸国の大半の国でOECD平均を下回っている。この状況では、公衆衛生上の大規模な非常事態に対処する体制が不十分なままとなる。病院設備が不足しており、先進医療を要する多数の患者への対応に必要な物品や機器が備わっていない恐れがある。

 ロックダウンや外出制限措置には最も脆弱な人々への支援を併せて行うことが必要

コロナウイルス感染の急拡大によって、多くの国々でロックダウンや外出制限措置の実施を迫られた。マレーシア、ベトナム、インドでは全国規模のロックダウンが行われている。インドネシア、フィリピンなどの国々では、複数の州と地域がロックダウンの対象となっている。中国においても、武漢を含むいくつかの地域でロックダウンが実施された。カンボジアとミャンマーでは完全なロックダウンは実施されていないが、公共の場の閉鎖や、その営業時間の短縮を表明した。タイは公共の場の閉鎖に加え、全国的な外出制限措置をとり、特定の時間に国民が外出することを禁じた。

ソーシャル・ディスタンシングを全人口に適用すると、コロナウイルスの感染抑制に最大の効果を発揮するだろうということが複数の研究で確認されている。その反面、ロックダウンは大きな経済的負担を課す。ロックダウン措置と経済活動はトレードオフの関係にある。地域の政策立案者は公衆衛生上の難題に直面する一方、コロナウイルスのパンデミックによる経済的影響の軽減にも取り組まなければならない。新興アジア諸国でロックダウン措置がもたらす経済的影響については、さらに議論することが重要であろう。

ロックダウンと外出制限措置は、企業と労働者、中でも最も脆弱な人々を支援する別の政策とともに実施する必要がある。大流行は瞬時に拡大して広範に影響を及ぼしており、地域の当局は様々な対策を講じている。ただ、効果を発揮するには政策対応がタイムリーに行われ、十分な調整と対象の絞り込みがなされなければならない。ロックダウンと外出制限措置は、適切なマクロ経済政策と組み合わせると一段と効果が高まる。

 経済成長を促すためにはよいタイミングの金融・財政政策が必要

大部分の新興アジア諸国には、積極的な金融・財政政策を採る余地がある。現にほぼ全ての国が金融政策のスタンスを緩和した。当局の中には1カ月に数回の介入を実行したところもある。中国、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムは政策金利の引き下げを行った。また、中国、インドネシア、マレーシアは、銀行セクターに適用される預金準備率を引き下げた。フィリピンの政策立案者は、銀行に適用される規制と報告規定を一部緩和した。この他、満期を迎えた債務の借り換え(マレーシア)、信用の直接供与(中国)、公開市場操作(インド及びインドネシア)、融資の元本返済・利払いの一時停止(マレーシア)などの措置も採られている。

多くの国が、金融政策による対応に加え、企業と家計を支えるための総合的な財政刺激策を表明した。政策パッケージの構成は国によって異なるが、新興アジア諸国では多くの国が、補助金、課税の猶予や免除、直接支出の増額などを取り入れている。望ましい成長浮揚効果をもたらすには、総じて財政刺激策の構成とタイミング、対象の絞り込みが重要になるだろう。

 各国は労働者の経済的ショックを和らげ、仕事の特性を再考することが必要

労働者とその家族の健康に関わる切迫した懸念の他、コロナウイルスとこれに続く経済的ショックは、失業、賃金、脆弱な労働者への影響を通じて労働市場に影響を及ぼす。この地域の各国は、雇用と所得を支える様々な対策を表明した。大部分の国がテレワークや短時間労働といった柔軟な労働調整を実施している。シンガポール、カンボジアなどの一部の国の政府は賃金コストの共同資金拠出により、影響を受けた企業を支援している。マレーシア、中国、ベトナムなど、年金や社会保障費の負担金を一時停止、または減額している国もある。また、マレーシアやシンガポールといった多くの国で、現金給付を直接行うなどの一時的社会扶助を提供している。生活必需品に対する支援も行われている。例えばインドネシアでは、基本的な食品の食券プログラムに追加資金を拠出している。タイとマレーシアは水道と電気料金の割引きを表明した。フィリピンでは社会保障制度のもとで、仕事を失った労働者に対する失業給付の提供が始まっている。

 政府はデジタルエコノミーを受け入れることが必要

コロナウイルスの大流行により、危機的状況に起因したショックを緩和する上で、国のデジタル化が重要であることが実証された。教育、労働環境、行政サービス、医療へのアクセスは、いずれもロックダウン政策と外出制限措置によって混乱に陥っている。外出が制限される状況で必要不可欠のサービスの継続を保証するには、これらの部門のデジタル化が必須となっている。例えば、各国によるオンライン教育のツールの開発が予想できるだろう。より全般的なものでは、一部の新興アジア諸国ですでに利用されているテレワークの実践は、適切なインフラや規制の枠組みによって支援することができるだろう。また、衛生の専門家らは汚染された硬貨や紙幣を取り扱うリスクに警告を発している。この点で支払いシステムのデジタル化は不可欠になる。こうした課題は、この分野で後れを取っている国では特に難しいことであると判明する可能性もあるが、こうした国々を現代のグローバル経済に適切に組み込むためには成し遂げなければならない。

詳細情報は、近日公表予定のEconomic Outlook for Southeast Asia, China and India 2020 の更新版(2020年6月~7月に公表予定)で入手できる。

注:本書の作成にあたり、様々な政府筋から助言を得た。

TwitterFacebookLinkedInEmail