要旨

本稿では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)危機が、科学・技術・イノベーション(STI)の将来とその政策に与える影響について論じている。STIの未来を決める要因としては、危機が研究開発(R&D)に及ぼす影響が産業部門間で不均等であること、デジタルツールや技術の導入の加速、研究・イノベーション全体(エコシステム)の開放性、包摂性、機敏性の変化などが挙げられる。危機対応能力、環境の持続可能性、包摂性が政策課題の目標としての重要性が高まるにつれて、STI政策は根本的に変化する可能性がある。また、今回の危機をきっかけに、新しいツールや政策アプローチ、ガバナンスモデルの実験が促進される可能性もある。

 
主な提言
  • COVID-19危機の後、大学、公的研究機関、企業が行う研究とイノベーションに対して持続的な資金を確保する。科学・技術・イノベーション(STI)は、危機対応力が高く持続可能で包摂的な未来を築く上で重要な役割を果たしている。しかし、2008-09年の世界金融危機の経験から、多くの国々にとって研究開発資金の水準を維持することは困難で、研究者の頭脳流出などでイノベーション能力が損なわれることが明らかになった。

  • STIの様々なシステムの包摂性を高め、多様な研究キャリアパスを支援する。パンデミックの影響が特に深刻なのは、女性、若手研究者、恵まれない出自の学生などである。育児をしている人により柔軟な勤務体制を認めたり、科学技術系のキャリアパスを目指すあらゆる出自の学生を誘致、支援するプログラムを提供したり、若手研究者の知名度を向上させるといった取り組みは有益である。イノベーションは公的研究機関だけで行われるものではなく、多様な研究キャリアパスを促進することで、科学的根拠に基づく対応を必要とする将来の課題への社会の対応力を高めることができる。

  • 危機の影響を特に受けたイノベーション事業、特に小規模のイノベーション企業への支援を強化し、競争力のある市場を保護する。デジタルサービスや医療サービスなど自社製品への需要が高まった企業と、観光業や交通産業など売上が減少した企業との間で広がっているイノベーションの成果の格差に対処するには、流動性の制約を緩和するための資金を調達しやすくすることが不可欠である。特に小規模のイノベーション企業は、資金面の制約がある。こうした企業がイノベーションシステムの活性化に果たす役割を考えると、危機の間に抱えたその負債額には注意を払う必要がある。

  • STI政策に体系的で協調的なアプローチを採用してより包摂的で持続可能な、危機対応力のある未来へと移行する。効果的な変革を実現するには、様々な政策を検討し、それらがSTI分野内および政策領域を超えてうまく調和している必要がある。また、政府、産業界、研究機関、市民社会が効果的に連携する必要がある。縦割りを解消し、より学際的なイノベーションを可能にすることで、システムの変革を実現することができる。さらに、パンデミックによって、グローバルな課題に各国が単独で取り組むことはできず、効果的な対応には国際協力が必要であることが明らかになった。

  • STI政策の主要目標間の相互補完性とトレードオフを考慮し、実績を追跡するための指標を開発する。競争力、持続可能性、危機対応力、包摂性といった様々な政策目標を追求するには、それらの目標を達成する方法と、生じる可能性のある相互補完性とトレードオフをよりよく理解する必要がある。また、新たな政策目標を実現するには、危機対応力だけでなく、包摂性と持続可能性に関する新たな測定基準と主要指標を開発する必要がある。

  • より精度の高いリアルタイムデータを、そのデータを収集して政策に役立てる新しい機会を活用する。今回の危機で、これまでにないほど大量の高精度のリアルタイムデータ(移動に関するデータ、行動調査など)が収集された。このデータを政策に活用するために、ビッグデータ分析、意味解析(semantic analysis)、ビジュアル化ツールが応用されている。その活用を拡大、改良することで、政策対応をより機敏で状況に応じた、そして最終的にはより有効なものにすることができるが、そのためには、データ管理のためのインフラ整備、データプライバシーとデジタルセキュリティの保証、データとツールの活用方法に関する訓練の提供などに対して、十分な投資が必要になる。

  • パンデミックとその余波によってもたらされたシステムレベルで将来起こりうる破壊的な変化と、それがSTISTI政策に及ぼし得る影響を含む重大な不確実性を、継続的に監視、調査する。それによって、より革新的で効果的なSTI政策の立案と、より機敏で生産性の高いSTIシステムの構築が可能になる。

COVID-19パンデミックとそれが社会経済活動に及ぼす効果は、STIを永続的に変化させるかもしれない。それは、STI政策の目的、立案、施行にも影響を与える可能性がある。本稿は、 Paunov and Planes-Satorra (2021[1])をもとにしているが、STIの将来的な様々なトレンドと、それが企業、研究機関、大学、そして現在および将来のSTI関連の労働力といった様々な関係者に及ぼす影響を明らかにしている。このような動向は、将来のイノベーションの速度や方向性、さらには人々の幸福と市場力学への影響に決定的な影響を与える。

2021年1月に発表された OECD Science, Technology and Innovation Outlook 2021では、気候変動の緊急事態に対応し、持続可能な開発目標(SDGs)を達成し、デジタルトランスフォーメーションを加速させるために科学とイノベーションが最も必要とされている時期に、COVID-19のパンデミックがイノベーションシステムに長期的なダメージを与える恐れがあることが明らかにされている。この報告書では、各国が景気刺激策や復興策の一環として、イノベーションシステムを保護するための施策を実施する必要性も強調している。またSTI政策を、より持続可能で公平かつ危機対応力のある未来への移行を促進するという、さらに意欲的な問題を支援する方向に移行させることを提案している (OECD, 2021[2])

COVID-19のパンデミックは、STIシステムに大きな影響を与えており、今後も何年にもわたって予測できない連鎖的な影響を及ぼすだろう。STI政策の策定は、現状の複雑さとシステムの様々な部分で絡み合った影響をより総合的に理解して行われるべきである。このように重大な不確実性と将来起こりうる変化を理解することは、革新的で適応性のあるSTI政策を設計し、STIシステムを構築する一助となる。STIシステムはそれ自体が、将来の多様な条件の下でより機敏で危機対応力があり生産的なものである。

 COVID-19危機が科学・技術・イノベーションに及ぼす長期的影響

COVID-19のパンデミックは、世界の経済社会のあらゆる側面で大きな不確実性をもたらしている。同様に、パンデミックが科学・技術・イノベーションに与える長期的な影響を予測することはできない。このような観点から、パンデミックがSTIに与える影響について、全体的な支出、デジタルインフラ、開放性、包摂性、グローバルな協力など、様々な(時には矛盾する)傾向を探ることは非常に有益である。

 STI支出の課題

過去の危機の経験によると、今後のSTI支出には、各国のイノベーションの実績に永続的な影響を与える二つの課題がある。しかし、COVID-19危機の特徴に鑑みて、ダイナミクスは2008-09年の世界金融危機後とは異なる可能性が高く、国によっても大きく異なると考えられる。

  • 企業の研究開発支出が不均等であることは、産業部門間のイノベーションのダイナミクスに影響を与える可能性がある。企業の研究開発費(BERD)とイノベーションは、GDPと連動するもので、2001-02年の不況や2008-09年の世界金融危機といった景気後退期には顕著に減速している。この景気循環増幅性のある傾向は、危機的状況下では需要が減少し市場の不確実性が高まるため、利用可能な資金が減少し、STIにリスクを伴う投資を行うインセンティブが低下するという事実に原因がある。しかし、パンデミックの発生以降、多くの医療・健康関連およびデジタル関連のツールとサービスへの需要が増加した一方で、他の産業部門(自動車産業、航空業界など)は深刻な打撃を受け、産業間でダイナミクスが非常に不均等だということが指摘されている (Paunov and Planes-Satorra, 2021[3]; OECD, 2021[4]; OECD, 2020[5]; OECD, 2020[6])。 持続的な収入とイノベーションへの需要を持つ部門が付加価値総額の相当な割合を生み出している国々では、総額で見ると、これらの部門のBERDが増えれば、他の部門の減少の影響が補填されるかもしれない。

  • 世界各地で公的債務が増加しており、その影響で公立大学や研究機関向けの資金が減少しているため、STI向けの公的資金は今後数年間にわたって圧迫される可能性がある。このような資金がどの程度削減されるかは、受け入れる学生数、慈善団体からの寄付、研究契約が重要な収入源になっていた大学や機関では、そうした収入の変動に影響されることになる。STI予算の削減の影響が深刻な国々では、高技能人材(科学者を含む)の頭脳流出のリスクが高まる可能性がある。これは、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペインが2008-09年の世界金融危機の後に経験したことである。その一方で、COVID-19パンデミックやそれに伴う経済危機への対応においてSTIが中心的な役割を果たしたため、STIへの政策支援を強化する機運が高まり、大学や公的研究機関などへのSTI向け公的投資が大幅に増加する可能性がある。特に医療関連のSTIは、将来のパンデミックに備えるための投資を受けられるかもしれない。その他の部門や技術領域(例えば、インダストリー4.0、人工知能[AI]など)でも、気候変動のような将来のショックや課題への備えを強化するための戦略的な取り組みであると認められれば、より多くの資金が提供される可能性がある。

 加速するデジタル技術、ツールのSTIへの導入

仮想コミュニケーションと会議ツールにより、パンデミックの間、新しい形の研究協力、知識の交換、訓練の提供ができるようになった (Paunov and Planes-Satorra, 2021[3]) 。これらは今回の危機の後も残り、今後のSTIの活力に次のような影響を与える可能性がある。

  • 在宅勤務の導入でより柔軟な働き方ができるようになり、STIも多様化し、育児や介護をしている人、遠隔地にいる人など働ける人が増える。また、オフィススペースが削減されて得られる資金の余裕を、イノベーション活動に向けることができるが、他の用途も考えられる。

  • より多くの学術会議、訓練、研究協力活動がオンラインで行われるようになるかもしれないが、STIの生産性の成果は不確実である。オンライン会議では、対面会議により多くの多様な聴衆を集めることができ、旅費や移動による二酸化炭素排出量の削減にもつながる。オンラインによる訓練ツールを用いることで訓練を受けられる人が増え、柔軟性が高いため、仕事の都合に合わせて訓練を受けることができる。また、教育機関の間で専門知識を蓄積して、学生がパートナー機関で提供される訓練に遠隔で参加できるようにすることで、参加者のニーズに沿った訓練が促進される。

しかし、このような応用には欠点もある。オンライン環境では、将来の共同研究のために信頼関係を築くことが難しいため、対面式の交流に完全に取って代わることにはならない。また、新規参入者にとっても課題がある。オンラインによる学術イベントでは、一流の学者を簡単に参加させることができるが、それ以外の人が参加して自分の存在感を示すことは難しい。ハイブリッドな運営形態への移行(直接参加できる参加者もいれば、オンラインで参加する人もいるという状態)を成功させるには、慎重な設計が必要である。

それと同時に、長期化するCOVID-19危機またはその他の将来的なショックに備えることで、その他の技術や手法の自動化とビジネスへの導入が加速する可能性もある。また、COVID-19ショックは、モノのインターネット (IoT)やブロックチェーン技術への投資を刺激し、サプライチェーンの透明性や信頼性の向上に貢献する可能性がある。さらに、貿易障壁が出現する恐れ、労働コストが高い場所に生産拠点を移すことでプロセスの自動化がさらに進むといった問題もある。反グローバル化の傾向が強まれば、3Dプリントやその他のデジタル技術の費用対効果を高めるために、より多くのイノベーション投資が行われる可能性がある。

このような状況では、デジタルセキュリティの向上とプライバシー保護が重要である。COVID-19危機下で広がったリモートワークで、システムはサイバー攻撃に対してより脆弱になった (OECD, 2020[7]; OECD, 2020[8]) 。オンライン詐欺やフィッシングメールが蔓延し、サイバー犯罪者は病院や研究センター、重要な経済基盤に対してランサムウェア(身代金要求型不正プログラム)攻撃を仕掛けている。このようなリスクがあるからこそ、組織全体でのサイバーセキュリティ対策の実施を加速させ、関連技術の開発に投資する動機が生まれる。

しかし、デジタル技術の導入能力とスピードは、関係者によって様々である。中小企業や零細企業ではインフラやスキルの利用が制限されていることに加え、デジタル化プロセスに投資するための財源が限られているため、そうした技術の導入が妨げられている。

 STIシステムの開放性と機敏性

研究データを共有するためのプラットフォーム、COVID-19関連の著作物へのオープンアクセス、研究原稿の出版前の公表など、COVID-19危機の際にオープンサイエンスやオープンデータの取り組みが急速に広がったことは、すべての学術研究分野でオープンサイエンスが広がる触媒となる可能性がある (OECD, 2020[9]) 。これらの実践により透明性と協力体制が強化され、研究活動が重複するリスクが軽減され、既存の研究を基盤とする研究とイノベーションが促進される。

しかし、(国境を越えて)データへの十分なアクセスを確保すること、相互運用性、再利用性(FAIR)など、多くの周知の課題に取り組む必要がある。そのためには、いくつもの組織がすでに認めているように、研究のためのデータ共有に関する基準が必要である。2020年10月、米国国立衛生研究所(NIH)は、NIHが資金提供するすべての研究のデータ管理と共有に関して新しい方針を発表した(Wolinetz, 2020[10])。2021年1月、OECD理事会は、公的資金で行われる研究のデータやその他の研究関連のデジタル製品をグローバルに利用できるようにすることを目的とした改訂勧告を採択した (OECD, 2021[11])。また、科学者の側も、オープンサイエンスの原則を受け入れる意欲が十分にはない。今のところ、優れたデータ管理や高品質で再利用可能なデータセットの開発にインセンティブや報酬が与えられておらず、主に科学雑誌への掲載で報酬が得られる学術研究システムの中で、データ管理者のキャリアパスは不透明である。オープンサイエンスまたはデータ共有の取り組みを考慮した評価基準に基づいてキャリアアップする仕組みが部分的にでもあれば、この点に関する意欲を高めることができる。また、オープンサイエンス・モデルの拡張に伴うコスト(例えば、データベースの公開と維持にかかるコスト)も考慮する必要がある。

パンデミックに対応してSTIコミュニティを迅速に動員するために行われた取り組みは、STIシステムの機敏性を高める可能性がある。このような変化には、医療イノベーションに対する規制障壁の軽減(例えば、ワクチンの承認プロセスの迅速化)、研究成果の迅速な発表方法(例えば、出版前原稿の利用拡大)などがある。今回の危機に機敏に対応した多くの政策手法は、今後も活用できる。その中には、既成概念に囚われない思考を刺激する迅速なオープンコンペやハッカソンの開催、アイデアの創出から商業化までの時間を短縮するための仲介活動、研究インフラへのオープンアクセスを促進して研究を加速させる取り組みなどが含まれる (Paunov and Planes-Satorra, 2021[3])

 STIシステムの包摂性

COVID-19危機は、STIシステムの社会的包摂性のための機会と課題を生み出している。社会的包摂性とは、社会経済的背景、性別、年齢、民族、宗教、居住地にかかわらず、個人が研究開発やイノベーション活動に参加する能力と機会を持ち、そこから利益を得ることができる程度と定義される。

  • COVID-19危機でSTIが注目されたことで、より多くの人を巻き込む機会が生まれた。パンデミック後には、女性や少数者など、これまで科学分野への進出が少なかったグループの学生を含め、より多くの学生が科学分野でのキャリアを追求するようになるかもしれない。また、この危機をきっかけに、リモートワークの大規模実験も可能になった。危機後、STIに関わる労働力の間でこのような働き方が一般的になれば、育児中の女性の就労が増え、遠隔地にいる人も研究とイノベーションのネットワークに参加できるようになるかもしれない。また、クラウドソーシングの課題やハッカソンなど、危機の際に用いられた政策手段が整理されることで、イノベーション活動への参加がより多様化する可能性もある。

  • その一方で、この危機によってSTIシステムへ参加がますます不平等になる可能性もある。パンデミックの間、教育施設が全面的に閉鎖されたことで恵まれない環境の学生が特に不利益を被っており、今後10年間でSTIのキャリアに就く機会が減少する恐れがある。COVID-19危機は、恵まれない環境にあるグループを永続的にに排除する結果にもなり得る。女性研究者、特に育児中や高齢者介護をしている研究者はロックダウン中に研究活動に割く時間が少なくなり、危機後に研究を再開することも容易でないことがわかっている。このようにキャリア形成ができなかった期間は、彼女たちの昇進を永続的に制限し、研究キャリアにおける男女格差をさらに広げることになりうる。博士課程の学生や博士課程修了者(ポスドク)を含む若手研究者も、科学分野によって違いはあるものの、安定した条件の下でSTIの仕事に就くまでには、さらに多くの課題に直面する可能性がある。「業績を残す」機会が限られていると、論文発表の機会に影響が出て、トップ機関以外の研究者の将来のキャリアの機会が減る可能性がある。

パンデミックの影響は、部門間および部門内でも均一ではないため、パンデミック中に成功した企業(大規模デジタルテクノロジー企業など)と、最も深刻な被害を受け、資金の流動性に乏しく、デジタルツールの恩恵を受けられなかった企業との間で、将来のイノベーションの実績格差を悪化させる恐れがある。この点において、中小企業は大企業よりも脆弱である。支援政策の撤回や要件の厳格化、あるいは信用条件の厳格化により、これまで先送りされてきた中小企業の倒産が相次ぐ可能性がある。部門間および部門内での不平等の影響は、市場集中の度合いに及び、結果的に将来のイノベーションダイナミクスにまで及ぶる可能性がある (Guellec and Paunov, 2018[12])

危機がイノベーションの実績に及ぼす長期的な影響は、都市や地域ごとのグローバル・バリューチェーンとのかかわりの度合い、観光業など大きな被害を受けた産業部門への依存度によって異なっており、地域間のイノベーション実績の格差が拡大する可能性がある。しかし、リモートワークが大規模に導入されると、集積経済のメリットが減少し、イノベーション活動が地域間でより均等に分散する可能性があります。イタリアのエミリア・ロマーニャ州のように、すでに在宅勤務者を誘致する政策を採用している地域もある。グローバル化への反発や、特定製品の世界的な生産集中を抑えシステムの危機対応力を高めようとするインセンティブは、より多様な経済を構築する新たな機会を生み出し、この目的に貢献しようとする様々な地域の努力を支援することにもなる。

パンデミックは、世界レベルで格差を広げる可能性もある。世界銀行の推定値(2021年1月時点)によると、2020年にはCOVID-19危機のせいで1億1900万人以上が極度の貧困状態に陥り、そうした「新たな貧困」は発展途上国に大幅に偏っている (Lakner et al., 2020[13]) 。世界的な景気後退で、中低所得国の経済発展が遅れ、あるいは逆行する可能性すらあり、国際的な研究・イノベーション・ネットワークに参加するために必要な能力開発が妨げられる。発展途上国では学校閉鎖が総じて長期化しており、人的資本開発のメリットをより早く得られないかもしれない。COVID-19のパンデミック期にデジタル・オンライン学習への投資を拡大することで、低コストで質の高い教育が提供されるようになれば、この損失に対処できる可能性がある (OECD, 2021[14])

 STIシステムのグローバルな性質

COVID-19危機は、国際協力に問題を提起するとともに、地球規模の課題に取り組む上でそれが重要であることを明らかにした。今後は、特に医療保健分野において、各国の専門性と能力を活かした効率的なグローバルSTIシステムを最適化する中で、国際協力の機会と政策支援強化されることになるだろう。例えば、感染症に関するデータを共有するための強力な国際プラットフォームの構築、新たな疾病に対するワクチンと治療法の研究開発のための国際的な資金調達システムの設置、世界的な疾病予防・管理システムの構築などに重点を置くことができる。

しかし、危機によって公的予算が制約を受け、国際的な人の移動が制限され、将来起こりうるショックや地政学的緊張を考慮して自国の技術力を高めることを各国が懸念するなどして、国際協力のインセンティブが低下する可能性もある。グローバルな協力関係の構築を犠牲にして特定の国との戦略的な提携関係の構築に力を注ぐ国も出てくるかもしれない。COVID-19の最初の数か月間に主要な医療機器が不足したような事態を避けるために、(食料や保健衛生用品などの)必須物資の生産を国や地域で自給できるようにするための投資などがその例である。この危機は、国家安全保障上の懸念、外国の技術供給者に依存することの将来的なリスク、グローバルな独占とその技術的進歩への潜在的悪影響に対する懸念から、5G通信やAIなどの主要技術へのアクセス要求を増幅させる可能性がある。

 政策への影響

 将来のSTI政策目標の変更の可能性

The COVID-19 crisis may change the role of STI policy in the recovery, as countries seek to “build back better”. If resilience, environmental sustainability and inclusiveness emerge as core objectives on policy agendas, STI policy could play a significantly different role than it has in previous decades, when it was primarily evaluated according to its contributions to productivity and competiveness for long-term growth. The recent expansion of mission-oriented research and innovation policies (MOIP) already signals a policy shift towards increased directionality of STI policies – a trend that may be reinforced after the COVID-19 crisis COVID-19の危機は、各国が「より良い復興(build back better)」を目指す中で、復興におけるSTI政策の役割を変化させる可能性がある。危機対応力、環境の持続可能性、包摂性が政策課題の中核的な目標として浮上した場合、STI政策が果たす役割は、過去数十年間の主に長期的な成長のための生産性や競争力への貢献度に応じて評価されていたときとは大きく変わる可能性がある。最近の目標指向の研究・イノベーション政策(MOIP)の拡大は、STI政策の指向性が高まる方向に転換することをすでに示唆しており、この傾向はCOVID-19危機後にさらに強まる可能性がある (Larrue, 2021[15])

STIは、環境面でより持続可能で、包摂的かつ危機対応力のある未来を築くために、より大きな役割を果たすことができる。環境意識を高めるための原則(greening principles)は、経済回復を支援するために実施された大規模な復興複合政策に組み込まれている。例えば、2020年11月、英国政府は革新的な環境技術への投資や、産業界(交通、エネルギー、建設部門を含む)の脱炭素化支援を含む10項目のグリーン回復計画に120億英ポンド(170億米ドル)を拠出することを発表した。同様に、復興プログラムは、危機対応力と包摂性を高める方向にSTIを向けることができる。環境に配慮した包摂的な成長を支援するために実施された過去のSTI政策は、復興のための政策を立案するための重要な洞察を与えてくれる (Borowiecki et al., 2019[16]; Planes-Satorra and Paunov, 2017[17])

危機対応力の構築は、新たな政策の優先事項となっている。STIは危機対応力の2つの側面に寄与する(図1)。1つ目は予測である。その中には、パンデミック、気候変動やサイバー攻撃などの将来的な危機に対する予防と整備を向上させるための解決策の開発がある。2つ目は、ショックに対する機敏性と反応性である。つまり、ショックを受けたときにその悪影響を軽減し新たな機会をつかむために迅速に調整する能力である。ショックに最も効果的に対応できるイノベーションシステムの特徴は、強固な学術基盤、活気に満ちた革新的な企業部門、そして産学および国際的な研究とイノベーションのネットワーク間の流動的な相互作用があることである。COVID-19によってもたらされた様々な変化は、STIシステムのこれらの側面、ひいてはその危機対応力に影響を与える。

より包摂的で危機対応力がある持続可能な未来のためにSTI政策を作り上げるには、これらの目標と復興期の成長との間の相互補完性とトレードオフを理解する必要がある。また、STI政策支援対象となる優先分野(研究・技術分野、産業部門、目的)を決定するには、慎重な検討が必要である。STI向け資金の絶対額が増えない場合、新たな優先分野への支援を強化すると、他の分野への資金が減少することになる。さらに、一連の新政策目標を運用するには、特に危機対応力に関する測定基準や主要な指標を開発する必要がある。後者には、必需品の供給がどれだけ多様化しているかを測る指標を含めることができる。

 
図1. システムの危機対応力の諸側面

出典: Authors’ elaboration based on Hynes et al. (2020[18]), “Bouncing forward: a resilience approach to dealing with COVID-19 and future systemic shocks”, http://dx.doi.org/10.1007/s10669-020-09776-x.

 STI政策の実証基盤とガバナンスを形成する新しいデータ、ツール、政策アプローチ

今回のパンデミックでは、リアルタイムの詳細データ(移動に関するデータ、行動調査など)やビッグデータの可視化と分析ツールがかつてない規模で活用されたため、STI政策のための新しいツールがより重要になる可能性がある。それらが今度は、STIの政策対応をより機敏で的を射たものにし、最終的には有効性を高める可能性も考えられる。

異例の政策アプローチは、今後数年で勢いをえる可能性があるが、そうしたアプローチには、政策立案に戦略的先見性を組み込むアプローチ、つまり意思決定に反映させるために複数のシナリオを構造的かつ明示的に検討するアプローチが含まれる。社会経済プロセス内の相互関連性を考慮するシステム・アプローチは、単一の構成要素やプロセスではなく、システム全体への影響に基づいて政策を策定することを目的としている。例えば、環境に配慮した移動手段への移行を進めるためには、妥当な研究開発への投資、都市インフラの適応、効率的な公共交通サービスの確立、そしてそのメリットに対する一般の人々の認識を高めることが必要となる。

政府間協力やメディアとの関係を含む新たなガバナンスモデルについての考察も、STIの政策課題の再検討に反映されるだろう。また、重要な社会的変革を達成するという観点から、STIの政策に市民社会の機関がより広く関与するようになることも考えられる。

参考文献

[16] Borowiecki, M. et al. (2019), “Supporting research for sustainable development”, OECD Science, Technology and Industry Policy Papers, No. 78, OECD Publishing, Paris, https://www.oecd-ilibrary.org/science-and-technology/supporting-research-for-sustainable-development_6c9b7be4-en (accessed on 16 October 2020).

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[1] Paunov, C. and S. Planes-Satorra (2021), “What future for science, technology and innovation after COVID-19?”, OECD Science, Technology and Industry Policy Papers, No. 107, OECD Publishing, Paris, https://doi.org/10.1787/de9eb127-en (accessed on 23 April 2021).

[17] Planes-Satorra, S. and C. Paunov (2017), “Inclusive innovation policies: Lessons from international case studies”, OECD Science, Technology and Industry Working Papers, No. 2017/2, OECD Publishing, Paris, https://dx.doi.org/10.1787/a09a3a5d-en.

[10] Wolinetz, C. (2020), NIH Releases New Policy for Data Management and Sharing – Office of Science Policy, Office of Science Policy - National Institutes of Health, https://osp.od.nih.gov/2020/10/29/nih-releases-new-policy-data-management-and-sharing/ (accessed on 9 November 2020).

本稿は次の論文を元にしている。 Paunov, C. and S. Planes-Satorra (2021), "What future for science, technology and innovation after COVID-19?", OECD Science, Technology and Industry Policy Papers, No. 107, OECD Publishing, Paris, https://doi.org/10.1787/de9eb127-en.

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